2011年1月23日のアマモモニタリングとスカイツリー
2011/01/26

<アマモモニタリング>

 昨年11月に移植したアマモの2回目のモニタリングを行いました(この日の水温8.5度)。モニタリングをしていると移植したアマモは昨年同様、移植後は株数を減らしており、その傾向は一緒なのですが昨年と異なるとても嬉しく感動的な出来事がありました。

それは種子から自然に発芽したアマモ(実生のアマモ)が多数確認できたこと。実は1回目のモニタリングから確認できたのですが、これは一昨年に移植し11万株までに増えたアマモの花枝から落ちていった種子からと思われるものです。

だとすると、移植した栄養株から一部が生殖株となり種子となり発芽生長するというアマモの生活史を1サイクルしたことになります! 初めてそれを自分の眼で確認した時は冷たい水の中でしたがとても感動し、熱いものを感じました。今回のモニタリングでは生長している姿、次々と発芽している状況が確認出来ています。


<スカイツリー>

 その高さ故、首都圏のあちこちから見ることが出来ますがもちろん三番瀬の海上からも見えます。この写真の撮影日は薄曇でしたが晴天ですと素晴らしいビューポイントとなるでしょう!

また、このスカイツリー撮影の同じポイントから目線を東に移すと、民間気象会社の所有になった前・南極観測船『SHIRASE』の大きな船体を見ることができます。この場所、良いですよ!
(清積庸介)

写真は左から、実生のアマモ1/実生のアマモ2/三番瀬海上からのスカイツリー

2月20日のアマモモニタリング
2010/02/21

この日の水温は7.1度。作業が終わりポイントを後にする際、船上から見る(写真右のように)藻場の生育具合に「デカい!デカくなってる!」と私もスタッフも口々に言う。ほんとうに良く生育していると思う。その周囲には移植時・直後に数株流れたものが定着したと思われるパッチを確認。

他にも無いか船をスローで流しながら透き通って見える海底を宝探しかのように観察していく。何と言えばいいのでしょう、『海底をゆったり低空飛行?』という表現をあえてさせていただきます。潜水中の興奮と船上から全体像確認でまた興奮、そして宝探し…これが何とも言えない心躍るひとときでした。

やっぱり自然の回復力・治癒力を信じ、我々はそのお手伝いをどんどんこなして行くことしかないなぁと改めて実感。さぁまた次も楽しみだ!

清積庸介
(写真左:地下茎の分枝も進み藻場面積は拡大 写真右:船上から見える藻場の一部)

移植したアマモのモニタリング
2010/01/31

昨年10月に1,000株移植したアマモが順調に育っています。年が明け、1月30日に行ったモニタリング、まず船上から見れるアマモ場の様子よりかなりの生長を予感、楽しみにしながら潜水開始です。

水中ではアマモ株数や草丈の計測、写真撮影や藻場の手入れ、周辺の出現生物の記録などやることが沢山あります。私の腕時計の指し示す水温は8℃、ドライスーツを着ていても手先足先は寒さで痺れています。そんな中、ひと通りモニタリング作業も終わった後、タンクの残圧を確認しつつ時間が許すまでアマモ場でしばし水中森林浴を行って(癒されて?)から現場を後にしました。

その後、帰港し温かい食事を取りながらスタッフと記録画像の他、それぞれが水中で見たもの感じたものを情報交換、今後の展開などを話し合いました。皆、順調に生育するアマモ場を自分の眼で見た直後だからでしょうか、少々興奮気味?に、三番瀬アマモ場の生育場所と条件を洗い出して現状とを照らし合わせたり、一般の方向けの観察方法など検討したりと…
過去現在の事実を積み上げて未来を話し合うこの時間もまた楽しいものです。

さて次のモニタリングではどんな光景・発見が見られるかな!?楽しみです。清積庸介

(写真左は2009年10月移植時の様子、写真右は2010年1月のモニタリング時、分枝し繁茂している様子がよくわかります)

清渓川を見て思う指導者の覚悟とリーダーシップ
2009/02/06

昨年、仕事で韓国に1週間ほど行った時の事をふと思い出しました。仕事でギチギチのスケジュールだったのですが、帰国前のわずかな自由時間を使って清渓川を見学してきました。実は予てから行ってみたかった所でした。

よくご存知の方もたくさんいるかとは思いますが、暗渠にして高速を通して劣悪となっていた清渓川を今の大統領で当時のソウル市長だった李明博氏が指揮を取り、2005年に2年3ヶ月という工期を経て都市河川を修復しました。生き物などの生態的にも人間との共存という意味でも成功し、現在に至っています。これについては自然・工学・社会学等々の視点で日本をはじめ世界の識者からも評価の声が高いです。 

実際訪れてみるとなかなかすばらしい所でした。上中下流域に移るにつれてその場に合った環境の変化を持たせ、生き物の出現もそれに合わせた出現になっていました。そして市民が憩える場としても機能していると感じました。また、清渓川文化館を見学し、経緯をよく遡って見ていきました。文化館には生物種が回復していく様子や今も継続しているモニタリングについての展示や着工から完工までの間、その組織構成と運営、さまざまな利害関係との交渉などの紹介が印象に残っています。なによりそのスピード感に驚き、大変興味深く拝見させてもらいました。目的と工法と工期と工費の策定が短期間に行われた結果ではないかと見て取れます。この策定や議論を短期間にするということが政治家(首長)以外には出来ないリーダーシップなのではないでしょうか。

仕事中、地元のタクシーを使った際、日本語の流暢なドライバーに清渓川のこと聞いてみました。実に市民の8割方が支持をし、結果についても評価をしていますよ。とのこと、特にそのリーダーシップを市民は高く評価していたようです。(この1年間の韓国国内の政治情勢は混沌として、李明博大統領は輸入牛肉BSE問題で支持率を急速に落としてしまいましたが・・・)

日本の千葉県に目を移します。今の知事には、当時の李氏のような覚悟とリーダーシップがあるのでしょうか?この8年間で出てきた三番瀬での結果(?)14億7千万円の調査費と会議費の浪費と、かたや2年3ヶ月の清渓川での結果とを見るとその政治家の質を疑わざるを得ません。

今のままではほんとに三番瀬がダメになる!とにかく明るい三番瀬の未来に導いてくれる指導者に変わって欲しい、そう願うばかりです。(清積庸介)

[写真は現在の清渓川とその経緯を解説する文化館内にて]

10月5日、三番瀬まつり開催しました。
2008/10/12

今年も盛況となりました。三番瀬まつりにご参加いただきました皆様、誠にありがとうございました。また、まつり運営にご協力いただきました協賛企業の皆様、そしてスタッフなど関係者の皆様、大変お疲れ様でした。長年この場所でやっていると協賛企業の中には異動でそれまでの窓口の方が居なくなるといったことも多々ございますが、引継ぎ事項でこの「三番瀬まつり」の件をしっかりと伝達をしていただいているようで例年通りお話がトントン拍子で進められます。この地で根付いたまつりの証であり、とてもありがたい話です。

当日の様子としましては、4月に発行しました書籍『海辺再生』の中でも詳述しています「海の駅」を具現化したような「三番瀬まつり」となり、例年とはまた一味違った形での開催でした。まつり開始の10時の時点で、もうすでに予想をはるかに上回る人出で充分に用意したつもりの市川市産の梨にホウレンソウ・小松菜などは飛ぶように皆様がお買い求めになりお昼を待たずに売り切れ御免となってしまうほどでした。

海の幸は毎年お世話になっている大傳丸・海光物産の皆様からご提供いただいた東京湾でその日の朝に獲れたイワシ(今季の東京湾ではイワシが獲れています)、行徳漁協のアサリや海苔が販売されて会場は長蛇の列。東京湾、そして三番瀬、地元市川市の恵みをたっぷり味わう最高のひと時となりました。

さらには、かつてこの地で盛んに生産されていたハス田を再現するプロジェクトの一環で育てたハスを堀起こし、試食をしてもらうなど「食」と「環境」にクローズアップしたおまつりとなりました。

三番瀬塩浜案内所の敷地内で行った今回のまつりでは、その案内所にて「大青潮展」が開催され、恵みの幸を与えてくれる東京湾が抱える深刻な問題である「青潮」について、わかりやすく紹介するコーナーも設けられ、多くの方に真剣にご覧いただきました。

このまつりを通じて東京湾・三番瀬の魅力と問題点を沢山の方にお伝えすることが出来たのではと思います。
(清積庸介)

(写真左から、市川の恵み・海の恵みを求めて長蛇の列が/案内所では三番瀬全般や生き物の解説のほか『大青潮展』を開催/アサリの酒蒸しも大人気、このあとにハスの試食も)

こんな重苦しい気持ちはもういやだ!
2008/09/26

 8月下旬に発生した青潮、その惨状についてはHotNewや小埜尾精一顧問の部屋を見ていただくことにして、私は青潮のたび今でも思い出すことがあります。

 20年以上前、私は幕張に住んでいました。家は居間が南西向きで建っており、反対側の北東方向から夏〜秋の暑い時期に数回北風が吹くと、“心地よい”と思っていて部屋の中に居るときはありがたく感じていました。ただある日、『海が凄い事になっているようだ!』という事を聞き、ひとたび自転車で幕張の浜、検見川浜に行くと・・・

これが私と青潮の出会いでした。

 ハゼは既に白いお腹を上に向けて浜辺に打ちあがっているもの。
石積みの突堤にいき、砕波する石と石との間をよく見ると、メバル・アナゴ・ハゼなどが必死にもがいてこの貧酸素水塊から逃れようとしている、尾ビレが水を叩く音はなんともいえない重苦しい音でした。そんな絶え絶えの魚達を投網で一網打尽にして笑って帰っていく年輩の男性には小学生の自分でしたが何だか違和感を感じたり・・・。翌日も浜へ行くと、クロダイ・ホウボウ・マダイ・スズキ・カレイ・シロギス・ガザミが打ち上がり貝類も口を開けた状態のものがおびただしい量でした。とても重い気持ちになります。

 しかしながら、計らずもこの青潮の惨状を見た結果がこの海に予想以上に多様な魚種、大量の貝類やその他多様な生き物がそこにいたことを目撃する結果となり、それまでの私の東京湾に対するイメージを根底から変えさせられた出来事となりました。青潮の原因メカニズムに興味を持ち、その解消法や対策について何が出来るのかを調べていくうちに、当時、三番瀬フォーラムが作成していたパンフレットに出会いました。その中に記載されていた青潮の具体的な情報が手に入り、同時に生命のゆりかごである三番瀬がとてもポテンシャルのある海だということも実感しました。

 この8月下旬の青潮の後、状況を見に三番瀬へ行きましたが、残念ながら海とその周辺からは生気が感じられませんでした。約20年前に感じた重い気持ちに加え、何も出来ないままでいるもどかしい思いが溢れます。年々回復力も弱くなっています。このまま魚も貝も鳥も、そしてそこで生活する人も居なくなってしまうのでは?とも感じてしまうのは私の考えすぎでしょうか?いや考えすぎではないと思います。

 でも私はこの海のポテンシャルを信じたいと思います。それは単なる思い込みではなくフォーラムグループでの活動の中、散策会や調査・再生実験などで蓄積した経験やデータを重ね合わせた結果信じることのできる可能性です。多様な生き物が躍動し、地元の、東京湾全体の産業資源となりうる三番瀬に再生していくためには青潮を放置しておくわけにはいかないのです。あと何年こんな重苦しい思いをしなくてはいけないのだろうか?そうならないためには我々市民レベルで出来る事はもちろんのことですが、行政(千葉県政)レベルで求められる必要なことが確実に実行できる体制であることを望みます。
(清積庸介)

知事の熱意、違い過ぎませんか?
2008/01/30

 宮崎県の2007年の1年間を見て、よほど羨ましく思ったのでしょうか!?堂本知事は1月4日の仕事始め、県職員に対し、県の施策とその広報活動の重要性を強調しておられたようです。

しかし1月10日の定例記者会見ではその年頭あいさつでの『広報のありかた』を伺う記者の質問に対し「・・・皆さんにも協力していただいて・・・あの手この手でやるよりしようがないと思いますが、挑戦していきたいと思います。」というコメントでした。

マスコミ出身の知事が広報に対する方法論を自ら示すことができずに・・・。あまりにも情けないコメントと私は感じ受けました。

<ここで「広報」についての一般論を整理しておきたい>
企業等が報道機関に向けて情報を発信し、それが社会に情報伝達されるもの。その情報を報道するか否かはその情報を社会に伝達することの時機と価値と必要性があるか否かということ。一方的な自己アピールでなく、報道機関という客観的立場の第三者にも評価された情報が広報結果として世間への影響へと結びつく。

・・・さて最近、千葉県や再生会議(円卓会議)が発表する三番瀬の記事、どうですか?ほとんど扱われませんよね。独自の広報ツールでは税金を使っておおいにやっていただいたのかもしれませんが、報道機関という第三者は評価をするのも飽き飽きしているのかもしれません。

実際、1月29日に開催した三番瀬再生国際フォーラムは事前評判も事後の扱いも小さなものでした。呆れたことに分科会にて再生会議のメンバーから「県民運動がかつてほど盛り上がっていない・・・」との発言まであったようです。

かつてとはいつ頃の事でしょうか?関心低下は堂本知事、再生会議(円卓会議)が始まってから現在までとリンクしていることに気づいていないのでしょうか?三番瀬に対し、良識な関心は薄れ、愛着も無く軽い好奇心ばかりの無法地帯にしてしまった事の認識はないのでしょうか?

 ちなみに11年以上前(1996年7月)に小会主催で同じ幕張メッセで開催した国際シンポジウム『三番瀬から日本の海は変わる』では1,500名収容空間の場を押さえ、1,000名以上の聴衆がありました。今回の三番瀬再生国際フォーラム、会場となった国際会議室は600名そこそこの収容空間、そこへ400名ほどという結果。人数で競うわけではありませんが問題に対する本気度合もなにもかもが中途半端な格好となっていませんでしょうか?

 こんな国際フォーラムより、『小埜尾精一顧問の部屋』にもありますが船橋の埠頭に予定している耐震桟橋の件など問題となっている県の施策と対応についてはどう説明していただけるのでしょうか?

 今回の国際フォーラム、華々しいものにしたかったのかもしれませんね。県政を執り行っていく上で、広報というものは大事なことかもしれません。が、そうであるなら各種懸案問題や三番瀬の問題に対して「広報する」「報道する」に値する「施策」をキチッと実行していただくことが一番広報効果を高めることだと私は思いますし、それを切に願っております。

熱を入れる箇所、間違っていませんか?
(清積庸介)


 ※写真は昨年末、市川市塩浜護岸改修工事現場(立ち入り禁止となっている)となっている場所。石積みの隙間で穴釣り?のようにハゼなどを釣っている人達・・・写真の奥まで数えると10名以上はいるであろうか。

10月14日開催!三番瀬まつり2007
2007/09/17

今年も三番瀬まつりの協賛願いにいくつかの地元企業などをまわっている。
いつもの事だが三番瀬をとりまく状況、塩浜の街についての変化や今後の見通し、構想などをお伝えする。

・店長らが変わり、一から説明をしなおす所
・また来たね!もうそんな時期ですかぁと、恒例となった所
・我々の活動に興味を抱き逆に質問攻めで時間も経つのを忘れる所
・日ごとの活動含め、共感と賛同を口にしていただける所

反応はさまざまだが私は必ずお伝えしていることがある。

去年は4,000名もの地元市民の方にご来場いただき、お客様の笑顔に疲れも吹っ飛びました。このお客様の反応は今後の塩浜の市川の未来へと繋がります。この場所では8回目、今年も沢山のお客様に来ていただきたいのです。そして、三番瀬のある街が秘めた可能性に希望を持って笑顔で一日遊んで帰っていただきたいのです。その、まつり成功のため、その運営にご協賛をいただきたい!

そして『また今年もよろしくお願いします』と
毎年9月はひたすら頭を下げてお願いに歩きます。

ちなみに昨年までのまつりの様子はこちら↓よりご覧下さい。
http://www.sanbanze.com/npo/matsuri/matsuri.htm

では今年も地元・遠方問わず皆様のご来場心よりお待ちしております!
遊びに来てくださいね!(清積庸介)


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三番瀬最大のイベント「三番瀬まつり」が今年も開催されます!

三番瀬まつり 2007

日時:2007年10月14日(日)10:00-15:00
場所:<1>JR市川塩浜駅前の特設会場
   <2>市川市三番瀬塩浜案内所


「海の再生」「海と街の連続性の再生」を求めて、地元から大きなメッセージを発信していこう!!
塩づくり体験、ノリ簾づくり、潮だまりで遊ぶ「なでこ遊び」、海の幸の即売会、屋台・フリーマーケット、三番瀬と街を考える提言&展示などなどイベントが盛り沢山!

日時:10/14(日)10:00〜15:00
会場:市川塩浜駅前 特設会場(JR京葉線)

今年も盛り上げていきましょう!
フリーマーケットも、ボランティアスタッフも大募集!
海を感じながら参加しませんか?

※問い合わせ先
NPO法人三番瀬環境市民センター
TEL: 047-358-6233
FAX: 047-358-6843

南半球の地でも想うことは・・・
2007/01/24

 1月も後半となりましたが、皆様、本年もよろしくお願いします。

 私個人的には昨年の10月後半から約3ヶ月、仕事に追われていてあっという間の年末年始だった。そんな中だが先日、休暇を取りオーストラリアのケアンズに約1週間の旅行へ行く機会を作った。GBRへダイビングや野生動物観察ツアーなど各種エコツアーに参加したが、私自身とても満足したのがケアンズの目の前にあるトリニティ湾にてふらっと干潟散策ができたこと。

 ここは湾に沿ってボードウォークが整備され所々に観察用の望遠鏡があり、地元の子供でしょうか?『catch the crab!』などと声が聞こえてきます。公園等も整備され、皆思い思いの時間を過ごしている。訪れた時は4km四方ほどある湾全体ほぼすべてが干出するといった具合、干潟へ少し踏み入り観察しただけでヤマトオサガニ・シオマネキ・ワタリガニの類種など7種位、またトビハゼを見ることが出来た。海鳥においてもペリカンをはじめ、多くの野鳥の鳴き声が…この鳴き声を聞きながら『底質はどんな感じか?』と砂泥を触りカニを撮ろうと夢中になるなど、しばし時を忘れることが出来た。

(ケアンズは2つの世界遺産を要しながらこの環境に対しルールを施行しながら観光産業としても積極的且つ賢明に利用している。今回参加したエコツアーガイドの語り口から感じることを始め、ほんの少しにすぎないが環境保全に長けたこの国の実情を見ることができ大変有意義な時間であったと思う。また機会があればこの場を借りて報告していければと)

 また、私が滞在したホテルのバルコニーからもこの干潟が一望でき、当然、私の朝一番の日課はそこからの眺めを見ることに…自然と私の脳裏に「2020年の三番瀬に贈る」の将来像の絵(小埜尾精一顧問の部屋にある2枚の絵)が引き出され、この光景とダブって見えてくる。ここオーストラリア(ケアンズ)は気候帯も違うので一概に比較できませんが南半球の地でも考えることは三番瀬のこと。三番瀬に照らし合わせたり、ヒントを得たりすることばかり…

 さぁ!気持ちも新たに今年も三番瀬にとって良い年となるよう活動していきたいと思います。 清積庸介

(写真左から、ホテルのバルコニーより「満潮時」と「干潮時」、干潟に踏み入ると「シオマネキの類がダンスを踊る…」)

また1年を終えようとしている
2006/11/26

 11/22に夜間散策会を実施した。
今年もフォーラムの散策会全日程を終えることとなった。

 22日はふなばし三番瀬海浜公園から海苔ひびを設置している所まで歩いていったが、手前から1番目も2番目も海苔網を張っていなかった。毎年見ているが竹柵だけでは少々さびしい風景。新海苔を楽しみにしているが水温が温かいせいもあってか今年の海苔漁はやや生産が遅れているとの話をあちらこちらで伺う。

 皆さんも良くご存知のことも多いと思うが・・・
海苔漁はアサリ漁と同様に三番瀬で重要な水産業である。現在、船橋側では海苔漁を営む家が10軒を切るほどに減ってしまっているという。海苔漁は棒立てやベタ流しの設置など、大掛かりで漁師どうしの共同作業も多いのが特徴。このまま生産軒数が減るとどうゆうことが想像されるだろうか。この海で採れる海苔が食べられなくなるのはもちろんだが、代々受け継がれてきた海苔の生産技術も消滅する。そして、一番海に接する機会が多い漁師が海の維持管理をしなくなれば、漁場、つまり海自体も荒れるであろう。

 船橋漁業共同組合の漁業者がもつ漁業権は毎年更新が必要な短期免許である。・・・ということは常に1年後の保障は無いということでもある。更新年数を含め、漁業権の問題を埋め立て時代から引きずり、放っておいたままにするとどうなるだろうか。将来的な漁場・漁業権としての見通しがなければそこに後継者も増えるはずがなく、水産資源や環境への配慮もその場しのぎ的なものになりかねない状況に陥るのではないか。
(漁業権の問題はこの事務局長室でも2年半前に同じようなことを申し上げている)

 ごくごく当たり前のことだが人は皆、今年もまた1つ歳を重ねる。生物も環境も1年間の生活史を経る。例えばこの5年間で、50歳だった漁業者は55歳となる。三番瀬もあれから5年経った・・・

・あと何年、元気で漁業を続けられるであろうか。
・漁業の技術を伝えられる余裕はあるのだろうか。
・漁業者の裾野はひろがっているのであろうか。
・青潮、アオサの堆積等、不安定な環境はどう変わったのか。

 この現実を目の前にすると机上論ばかりとなっているモノを進めている時間はあまり無いと思うのが普通の人の感覚である。誰もが飽き飽きするようなやりとりはやめてほしい。はやく行動し、その結果に夢と期待を加え、また行動し、再生に進みたい。そして受け継ぐべきものを受け継いでいける三番瀬へと願う。
(写真は海苔網の張っていない寂しげな海苔ひび、11/22撮影)

清積庸介

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ごあいさつ 三番瀬フォーラム事務局長 清積庸介

この度、三番瀬フォーラム事務局長を務めることになりました清積庸介です。
私は小さい頃からもともと海には興味があり、何よりも海にいけるだけで嬉しくなる ような人間です。
以前は幕張に住んでいたので埋立後の東京湾が自分にとって身近な海でした。三番瀬 にも潮干狩りに行きました。(実はフォーラムの初期の散策会に参加していてアサリを獲っていました)そんななかエメラルドグリーン色をした海に出会い、後に新聞等でそれは「青潮」で あることを知りました。その時のことが強く印象に残り海に対する興味は増すばかりで、一時、東京湾を離れ地方の大学で遊んでばかりいましたが、水産学を専攻しました。
それなりに色々な海を見て、学び、遊び、良さを実感していった4年間でした。
卒業後また東京に戻ってきて現在26歳、平日は海と直接関わりはない仕事をしています。
でもやはり原点の東京湾・三番瀬が気になったのだと思います。
そのうちフォーラムや、安達理事長率いるNPOに顔を出すようになっていました。
ある日、安達前事務局長に「次はお前だ」と言われた時には戸惑いましたが、同時にどんな形で自分が三番瀬の保全再生できるのか挑戦してみようという気持ちも湧き上がり引き受けさせていただきました。
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